MIDORI HARIMA



Crossing The Boundary From Behind


In his 2006 essay ”PRINTMAKING: A COLONY OF THE ARTS”, Luis Camnitzer, a renowned conceptual artist with a printmaking background, analyzed problems of printmakers and reflected on his own practice. “I was using a technical discipline to define myself and this was conceptually wrong”, “I am trapped in that technical fundamentalism so typical of printmakers. A great mixture this—a colonial mentality laced with fundamentalism.”

How to de-colonize printmaking has long been a challenge for printmakers. At the same time, this colonial mindset of printmakers has been subject to change from the outside due to technological and conceptual changes in reproduction in the digital age. It is no longer necessarily a literal transfer by physical contact but a conceptual translation and a technology of mediation. The printmaker mediates between objective and subjective states, and they are located outside of the system. In other words, printmakers are not citizens of a single medium but residents, immigrants, or tourists. The position and identity of the printmaker and the immigrant are strikingly similar. Printmaking has a multilayered nature and can be conceived of as a cognitive mode that crosses regions. The printmaker stands behind the plate and sees their work from that position. Because of its non-face-to-face nature, printmaking has a blind spot in its core process. 

This group exhibition consists of works by artists who have experienced living overseas and the challenge of adapting to a new place. Each work adapts the essential function of the print in various ways that are beyond the artist’s control during the production process. These works will present, as one of the possibilities of printmaking, the crossing of boundaries from behind—an act which becomes possible solely when the actor is in the position of "only being able to see from behind.”


Midori Harima
Hong Kong,  2019




裏側からの越境  

2006年のエッセイ”PRINTMAKING: A COLONY OF THE ARTS”の中で、版画家としてキャリアをスタートしたコンセプチュアルアーティストのLuis Camnitzerは、自身の版画家としてのプラクティスを振り返り「版画家に典型的な技術原理主義の罠にはまっていた。」として「技術の鍛錬によって自分自身を定義することはコンセプチュアルには誤りであった。」と述べている。また如何なる理由にせよ17世紀から進化しないことを選んだプリントメーカーのマインドについて、「原理主義が織り込まれたコロニアルのメンタリティである。」と言及している。
西洋美術史の文脈における複製技術としての版画は、その出現時から、オリジナルに対するコピーとして、また常に印刷メディアとしてのアイデンティティの二重性を帯びていたが故に、構造的・社会的に二次的で周縁的な芸術形態であると位置付けられてきた。版画というメディアの脱植民地化は、版画にとって大きな命題であり続けたが、そのような版画家自身の持つコロニアルな心性は、デジタル時代における複製技術の変質とその解釈の変化や、メディア間のヒエラルキーの無効化、ポストコロニアルの議論等におけるメインストリームとされてきた歴史や価値体系の反省的見直しなどによって外側から変化を迫られ形を変えてきた。現代における版画は、物質同士の物理的な接触によるリテラルなトランスファーを超えたコンセプチュアルなトランスレーションの技術=媒介の技術として再定義できるだろう。

生成するのではなく、媒介するという版画というメディアの性質において、版画家は媒介者であり、システムの外部に位置する客体的な主体である。言い方を変えると、版画家は国家の内部に位置する市民ではなく、外部からやってきた住民、移民あるいは旅行者である。版画は祖国を離れて仕事をするアーティストが選びがちなメディウムであると言われている。版画家の位置付けとアイデンティティの複数性は、移民のそれと構造的に似ている。

版画は複数の版の刷り重ねによって図像を構成する技術であることに加えて、その構想の段階から、ミニマムには鏡像の二層に始まり、複数の層に渡る視点を必要とし、認知モードとしての重層性や、領域を横断するメディアとしての多層性を考え方としても内包している。画家が画面に対面する形でイメージの生成に直接的に手を貸し、その生成を眼前にしているのに対して、版画家は版の向こう側にイメージを幻視しながらその生成に向けて下準備を行い、その瞬間を正面から見ることの出来ない構図の中に置かれている。版画的媒介はそのような表現主体とイメージ生成における非‐対面性を持つが故に、プロセスのうちに「見えない」という死角を持っている。

この展覧会は、その方法や現れ方はそれぞれ異なるが、「媒介する」という版画の構造と機能を使ってアウトプットした作品で構成されている。その多くは、作品制作の過程で、版画の持つコントロール不可能な性質;見えないことやわからないという状態、予測できないということや正面からは見られないというリミットの中で作られている。これらの作品を通し、版画制作に顕著な特徴の一つである「裏側からしか見られない」という構図でこそ可能となった、偶然性に基づいた裏側から起こる越境を、作品制作の脱中心化の方法の一つとして、また版画の可能性の一つとして提示したい。



播磨みどり 2019年 香港にて









EXHIBITION STATEMENT ”Crossing The Boundary From Behind" (2019)
ARTIST STATEMENT (2019)
TEXT  "Democracy Demonstrates - What I have consumed in 90 days in Korea" (2015)
BLOG "한국 길가 피크닉 - Roadside Picnic in Korea” (2015)  
TEXT  "The Roadside Picnic Chapter two" (2014)

ARTIST STATEMENT (2011)
ARTIST STATEMENT (2008)
TEXT  "Story Spoken by Outline" (2003)
TEXT "Clean Castration" (2001)




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