MIDORI HARIMA





"Roadside Picnic Chepter Three"
2021
Installation: plaster, gel medium, toner ink, metal leaf, pigment, light
variable dimension
Print: archival pigment print on transparency in light box
42x29.7cm


"路傍のピクニック 第3章"
2021年 インスタレーション:石膏、ジェルメディウム、トナーインク、金属箔、ピグメント、ライト
サイズ可変
プリント:アーカイバルピグメントプリント
42x29.7cm  




非接触時代の版画




自身の作品の下地に、本という印刷メディアの経験がある。本は、ルネサンス期における活版印刷技術の発明に伴って広く普及し、形式としての同一性を近代から保持しつつ、時代と共に印刷技術や内容のアップデートを重ねながらHumanism(人文主義)等、西洋近代学問のベースとなった。活版印刷を機に、西洋では文字(活字)と図像における版の分離が起こったのに対し、木版が長らく主流であった国々では、版の段階から、文字と図像が同画面上に等しく並列する印刷技術によってつくられた印刷物の時空間が主流であった。そのような文化背景によって培われた文字への非‐絶対性のような感性を持ちつつも、創作や虚実の区別が曖昧な幼少期に、紙の上に乗ったインクという形式としての活字=絶対的な現実として経験したアンビバレンスさが、印刷物固有のフィクショナルな質感として、自身の作品の下地となっている。

本(印刷物)を起点として形成された自身の芸術観は、形式としては、西洋近代(技術)と人文主義、フィクションを起点とし、内容としてはポストモダン以降の日本(語圏)における雑多な情報空間を起点とする。私はこの「形式」と「技術」と「内容」の乖離によって、形式における同一性が、技術や内容によって絶えず外側から変更をせまられるような関係性にとても興味がある。

近代技術である版画が、版とインクが紙に触れるプロセスによって生じるのと同じように、本を読む際に指でページを捲る、その異なる物質同士の物理的な接触は、本の経験やそれによって引きこされる思考プロセスの重要な一要素であるが、技術の進化によってだんだんと失われていくのは、その物理的な接触である。本や版画というアナログメディアを起点に、メディアや技術の変遷に伴った、非接触時代の版画のあり方について考えることは、西洋近代を起点に、本という乗り物に乗って、地域や時空、言語圏や文化圏を超えて広がり、華開いていった人文主義や人間中心主義から、人間がどのように自らを定義しなおすことができるかについて考える事に通じているかもしれない。それは、サイエンスフィクションが繰り返し書いてきたテーマでもあり、また、アジアの一国の日本語圏に生じた「私」が、美術という形式と技術と内容を、その乖離の中で、どのように再解釈・更新していくことができるかという挑戦にも通じるだろう。

読めない文字や理解できない理論体系に対峙すること=内容に触れられないことを、コンセプチュアルな非接触状態であると仮定し、作品の意味内容に触れることができない状態で、その作品の経験と場、意識の状態を成立させる事の可能な形式について考える。版画が、その生成の根拠に於いて、物理的な接触のプロセスや、近代的な技術の原理に起点を置けなくなるのだとしたら、それは技術原理主義やプロセス原理主義とでもいえるような形式主義に長らく引きこもってきた版画が、そこから一歩外に出ていく契機になるとも捉えられるかもしれない。

それができたら、やがて版画をリテラルなトランスファーから、コンセプチュアルなトランスレーションへと、その定義を更新させていくこと、即ち、「技術」や「形式」及び「意味」のどれか一つに大きく依存する事で美術が生き延びるのではなく、それらの互いの批評的な介入とバランスの元に、作品の「経験自体」を開放していくことに繋げられるのかもしれない。



2021年2月14日 播磨みどり 藤沢にて













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